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『あっぱれ』人気子役から一時ホームレスに… 「人生が狂った」中武佳奈子さんに聞く当時の生活 「普通を知らずに“キラキラ”を取りにいってはいけない」

 



「『サインください』『写真撮ってください』とどこの駅でも声をかけられるようになった時、“あ、知られているんだな”と感じました。」

このように話すのは、フジテレビの大人気番組『あっぱれさんま大先生』の第1期生で、「かなちゃん」の愛称で親しまれた元人気子役、中武佳奈子さんです。当時はドラマやCMに引っ張りだこで、CDや写真集も発売し、芸能生活は順風満帆でした。しかし、彼女の人生には大きな転機が訪れました。

「夏は公園のベンチで寝ていました。実質、家がない状態で、木にとまっているセミやアリを食べて生き延びていました。」

かつての人気子役がホームレスにまで転落した背景には何があったのでしょうか。『ABEMA Prime』で中武さんの話を聞きました。

「どこに行ってもチヤホヤされる自分」に天狗になり

中武佳奈子さんが芸能界に入ったのは4歳の時、姉の提案で芸能事務所に応募して合格したのがきっかけでした。6歳でドラマのエキストラとしてデビューし、『あっぱれさんま大先生』に14歳までレギュラー出演しました。20~23歳の時には『世界ウルルン滞在記』にも出演しました。

10~12歳の頃は、ドラマやCMの撮影が重なり学校に通う時間もありませんでした。テレビ局での出待ちやサイン・写真撮影を求められ、「どこに行っても褒められ、チヤホヤされる自分」に天狗になっていたといいます。親は「ステージママ」と化し、売れていることが絶対になりました。毛皮や大きなダイヤを購入し、車は2年ごとに新車に変わっていました。

「家が大きくなったり、ダイヤモンドが増えたり、車が2年ごとに変わっていくのを見て、私は何かよくわからなかったけれど、親はどんどん派手になっていきました。」

しかし、仕事が減ると状況は一変しました。

「人気商売なので、ある時を境に仕事がなくなりました。子役として成功している自分しか知らないため、その現実を受け入れられなかったんです。結婚を理由に、逃げるように芸能界を辞めました。」

履歴書に書ける内容がない…「面接に行くと“犯罪者なのではないか”と」

28歳で結婚し、芸能界を引退して専業主婦となりましたが、その後離婚しました。仕事を探しましたが、履歴書に職歴が書けず、就職先が見つかりませんでした。アルバイトを掛け持ちしても収入は低く、家賃や光熱費を滞納することもありました。一時はホームレス状態に陥り、公園のベンチで寝泊まりし、廃棄の弁当や雑草、昆虫まで食べていました。

「売れなかったことや芸能界を辞めたことを恥じていたので、一切言わなかったんです。履歴書も空白なので、面接に行くと“この人は犯罪者なのではないか”と思われるんです。バイトを掛け持ちしても収入が少なく、生活の効率もわからなかった。それまで全部やってくれる人がいたからです。」

彼女の人生は、子役時代の成功とそれに続く困難によって大きく変わりました。「子役をやっていなければ違う家族の形があったのではないか」と振り返ります。

あっぱれの同窓会、明石家さんまの“言葉”がきっかけに

現在はアルバイト生活をしながら、YouTubeで日常を発信しています。2023年には『あっぱれ』の27年ぶりの同窓会があり、明石家さんまさんから「YouTubeやってみたら?」と勧められました。YouTubeを始めると、まだファンがいることに気づきました。自分の苦労を話すと、同じように苦しんでいる人から「励まされる」と言われ、「人生は捨てたものではない」と感じるようになりました。

彼女が伝えたいのは「普通を知ること」の大切さです。

「SNSなどで発信の場が増え、キラキラした場にいると“平凡がつまらない”と感じることがあります。しかし、普通というものを知った上でそれを楽しむことが大事です。子役の場合、一生続くわけではなく、“今しかない”と教えてくれる周りの環境が必要です。子どもは勘違いして、それが当たり前だと思って生きてしまいます。」



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